広瀬中佐(武夫)は、明治元年5月27日に岡藩士 広瀬武重氏の次男として、 茶屋の辻に生まれ、10才の時に父重武氏の飛騨高山への転勤で、竹田を離れました。 その後、海軍に進み、海軍武官としてロシアに赴きます。明治38年 日露戦争の時、旅順港封鎖作戦で殉職した時の有名な話があります。 それは、旅順港に停泊しているロシア艦隊を封じ込めるために作戦を遂行した時、カッターボートに乗り移って点呼をとったが、部下の杉野がいないことに気づいて、 沈みかかった船に戻り杉野を探したが、みつからずにあきらめてボートに戻ろうとしたら、敵の弾丸が命中し殉職されました。 その後、広瀬中佐は軍神として、静かに広瀬神社に祀られています。
最近では、司馬遼太郎原作「坂の上の雲」、NHK大河ドラマ化され日本全国にて放送されましたが、その主人公秋山真之の親友として広瀬武夫は登場しました。 また、講道館柔道四天王にも数えられた横山作次郎氏が、「広瀬とやる時はふんどし締めてかからんと怪我をする」とおっしゃってたほどの 猛者だったそうです。
境内には広瀬武夫が兵学校を卒業後、初めて乗艦した戦艦比叡のマストの一部と、その後水雷長兼分隊長として最後に乗船した、戦艦朝日のカッター(端艇)等が展示されています。