田能村竹田先生は、1777年 岡範囲の次男としてご誕生され、学問に優れ20才の時には、 藩校「由学館(ゆいがくかん)」の指導者となり、 その後日本画、書道などにも優れた才能を発揮し、日本を代表する南画家となりました。 晩年は大阪に住み、59才でこの世を去っておられます。 文政元年(1818年)10月24日頼山陽先生が竹田先生を訪ねられております。 秋の紅葉が深まる頃、竹田市山手の荒竹荘や、用作公園(ゆうじゃくこうえん)に案内して、 山菜料理や田楽料理でもてなし、頼山陽先生はとても喜び、3日の滞在予定を 6日に延期し、紅葉を楽しんだそうです。